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昭和20年頃の江川崎付近。川近くまで棚田が広がっている。 |
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稲刈り後の田んぼは、冬が来る前に一度荒く耕しておきます。大きな土の固まりが凍り、霜柱が立ち、自然に崩してくれます。あらかじめまいておいた藁も冬の間に土と混ざり養分となります。昔は山で刈った草を山に積んでおき、春には牛の糞や寝床の藁などといっしょに田んぼに鍬込みました。 |
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春が来ると、いよいよ田んぼの本番です。最近は機械稲作ですので箱で育苗しますが、昔は苗代をつくり籾を播きました。田んぼの土で畦を塗って、何度か田んぼを代かきして苗が30日を超えると田植えです。 |
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田植えの段取りは数週間前から地域のみんなで相談して日取りと段取りを決めました。苗代から苗を取る人、苗を運ぶ人、牛を扱う人、後からならす人、目印の縄をひく人、そして田植えをする早乙女さん。総勢20人ほどが毎日田んぼを替えながら田植えをしました。夜はお世話になった田んぼの家がみんなをもてなし楽しい数日を過ごしました。 |
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集落全員の田植えが終わると、日を決めてみんなで休みました。昔はみんな働き者でしたので、みんなで決めて宣言しないと休みませんでした。その日はしばもち(かしわもち)をつくって食べました。 |
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田植え後、根の分結を止めるまでは水が必要です。夏は水温が上がり過ぎるのでかけ流しにしたり、浅水にしたり、深水にしたり水管理は永年の経験と勘が必要です。田んぼには草がどんどん生え、稲刈りまでに一番草、二番草、三番草、止め草と4回田んぼの草を引きました。 |
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お世話の甲斐あって、やっと頭を垂れた黄金の稲を刈り取ります。目安は8割り熟れたところで刈ることです。米は穂先がおいしいから、熟れが過ぎないように注意します。昔は刈り干しといって田んぼにそのまま数日干して、足踏み脱穀機にかけた後、庭にむしろを広げて干したそうです。しかし、刈り干しでは雨がくれば取り込まねばならず、天気の心配のいらない稲木かけ(はざかけ)が主流になりました。今ではコンバインで刈ったとたんに籾が袋詰めで出てきます。 |
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「藁がなくては生活ができない」というぐらい藁は貴重なものです。縄になったり、むしろになったり、カッパの替わりやわらじになりました。もちろん米を入れる俵も藁です。肥料にも牛の寝床にもなるすぐれもの。特に地域の神祭でしめ縄などに使用するものは美しく仕上がったものを納屋などに保管していました。 |
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